先走る感性

現役大学院生の研究や語学、恋愛について。

恋に溺れて何が悪い。【研究と恋愛】

恋を受け入れるということ

 

今、猛烈に愛している人がいる。

朝起きてから夜寝るまでその人の事を考えてしまう。日常の些細な出来事をその人と関連つけたり、メッセージを見返してしまったり、一緒にいた時間を思い出したり、、、。

そんな事をしているとあっという間に時間がすぎる。他の事が手につかず、気付いたら夕方になっていたなんてこともある。院生たるもの研究に時間と金と情熱を費やすべきであるとこれまでギラギラしていたのに、今はどうだ。愛する女性にそれらを費やし、そして、取り憑かれて、まるでお花畑の上で舞い踊る蝶々のような女々しさだ。

これまで、想像だにしなかった状態に今、自分は陥っている。間違いなく恋に溺れている

 

"俺は腑抜けだ。1人のオンナごときに心を惑わされ、牙を抜かれ、目的から逸れ、心躍らされている。オンナのことなぞ忘れて、さっさと研究に没頭しろ。"

 

なんて自分に言い聞かせて、恋という強烈な誘惑に抗いながら自分のことに集中しようと試みていた。

 

結果、恋に惨敗した。

 

とは常につきまとってくるものだ、ということに気付いた。無理に突き放そうとしても、帰ってきてしまうということも。特に年末のこの季節、自分を甘やかす事を許容し易い雰囲気と、クリスマスという甘いイベントが街を支配する中で、どうして恋に抗うことができようか。

結論として、を素直に受け入れるという姿勢を大切にすべきだと思った。愛するひとの事を考えてしまうのは、普通の事であり、幸せなことじゃないか、と。そして、恋に溺れている自分を認め、そんな自分を一歩引いた目線から好きになることが、恋への向き合い方なのではないかと思ったんです。

愛する人ができて、その人のことで頭がいっぱいになってしまう、、、。なんて素敵な事でしょうか。一年の終わりの時期に、相手を愛で包み、優しさで包まれ、そして恋に溺れることの何が悪いのでしょうか。

何かに没頭して、大切なことから目を逸し、突き放すより、よっぽど人間らしいと思うんです。

 

研究と恋愛をなぜ同一直線上で語るのか?

 

「恋愛は研究の妨げになるか。」「研究が忙しくて恋愛している暇はないのか。」なんてことを巷ではよく聞きます。答えがどんなものかに関わらず、私はこの問いかけ自体がナンセンスだと思っています。

確かに研究には相当の体力や気力を費やすと同時に、時間もお金もかかることは認めなければなりません。そして、恋愛もそれらを必要としていることも紛れもない事実です。自分もそのことは日々痛感しています。

しかし、恋愛と研究とを天秤にかけることはできないと私は考えています。なぜなら、そもそも、恋とは、愛とは、恋愛とは、意図的な行為ではないと思うからです。恋愛をしようと思って相手を愛するわけではなく、愛することを止められない状態が恋愛だと思うからです。(これが恋愛の暴力的な側面だと指摘することもできるでしょうが、、、。)

 

つまり、意図的に行う研究と非意図的(≒無意識)に行う恋愛とを天秤にはかけられないという考えです。

逆説的に考えると、「非意図的研究と恋愛」、「研究と意図的恋愛」は天秤に乗せられるということになるでしょうか。

個人的には非意図的研究はごく少数の天才か、または少し病んでいる研究者だと思っているのでモノを言える立場にありません。

しかし、意図的恋愛に対しては経験があるので、それがいかに無意味であるということを認識しています。多くは語りませんが、無意識に愛が生まれないような恋愛なんぞ、真剣に考えるに値しないと思っています。そんな恋愛なら、研究に没頭すべきであると私は思います。

 

 

恋とどう向き合うか

 

 

恋に溺れる自分を認め、そんな気持ちと上手に付き合っていくという姿勢がいい結果を生む鍵なのではないかと考えています。

抗うより応じる方が潔い行動だと思います。

 

今、恋に溺れる中で、溺れながらもこの状況を楽しみ、溺れている事を幸せに感じている私が考えられることはこれだけです。

 

早く自分なりの良い答えが出るといいなとそう思いながら、今日もまた一日をすごしています。