先走る感性

現役大学院生の研究や語学、恋愛について。

研究が行き詰まる時

修士課程に入学して既に8ヶ月が過ぎた。

果たして自分は成長したのだろうか?そんなことを考えてしまう日々。入学から修士論文を提出するまでは22ヶ月の期間が与えられている。そう、もう三分の一が終了したのだ。なんて短い期間なのだろう。入学してから、なにができるようになったのだろう。なりたい自分になれたのだろうか。

 

そんな考えが頭のなかでグルグル回っている。

最近研究が行き詰まっていた。そんな期間で考えた事を幾つか挙げておく、、、。

 

効率的な研究なんてものはない。

研究を深めようと思うとどうしても非効率的な作業にぶち当たる。特に研究の視野を広げようとする時や画期的なアイデアを求めている時など。GoogleScholarなどで関連する単語を適当に打って検索してひたすら論文を読み漁るなんて日々は実に耐え難い。本当に霧を掴むような作業なのだ、、、。

この作業をしている時、ずっと思っていたことがある。

「研究のプロと言われる名のしれた学者達はなぜ『効率的な研究の方法』について教えてくれないのだろうか」

と。

病みそうになったぼくはこんな気持ちをドクターの先輩に相談したのだ。

その時の答えが「効率的な研究なんてない」というものだった。

これは同じ指導教官からの受け売りであり、なんとなく自分自身も気付いていたことなのだが、、、。自分が信じる人に言われると心がすっと軽くなるのだ。

 

そう、良きものはゆっくりと、進むのだ。人をハッと言わせるような研究は非効率であったり、遠回りと言われるような作業のはての結果なのだ。

悩み、苦しみ、無駄足を踏み、、、、そんなうまく行かない過程こそが最も「効率的」な研究の歩みであるのだ。

そう思うことで気持ちは軽くなった。ただし勉強の効率化は可能だけどね。

何も考えないという「研究」の方法があるということ

研究から離れると言う選択肢もある。研究の世界にいると研究から目を逸らすことは自分から逃げてるような気がしてしまうのだ。確かにそうだとは思う。

闇雲に論文を読み、本を読み、、、、という作業に取り憑かれる状態になることもある。まだ努力が足りないだけだ、まだやれる!という気持ちが自らを苦しめていることにはなかなか気づけない。そう認めてしまう自分に嫌悪感に苦しむこともある。

そんな時、意を決して研究から離れるということは非常に有益な時間になる。

2,3日、映画見たり、スポーツしたり、いつもと違う脳みそを使うのだ。これは無意識にはできないから意識的にやるべきだろう。

リフレッシュするとそのうち研究の情熱は戻ってくるだろう。だってその間も研究のことは常に頭から離れないでいるのだから。

色々な怖さを受け入れるということ

研究の営みは色んな怖さがある。先が見えない事、将来が見えないこと、逃げることができないこと、誰を信じれば良いのか分からないこと。

そしてなにより、研究には「答え」がないことが最も怖い。

 

そしてその怖さは研究を続ける以上、常に追いかけてくる。

 

だから素直に怖さを「怖いもの」として認めてしまった方が良いのだ。

それが成長への一歩とも言える。